母のコトで以前にも増して
心配をし続けて一年。
学んだことがあります。
母の日常を少しでも快適に!と色々工夫したり
良かれ!と思い私なりに改善したつもりでも
次に母の所へ訪れてみると前と変わらぬ状態になっていることが多かった。
「ここをこうしてね」とか「こうした方が絶対良いのよ」とか助言して「やってる」と母が答えてもそれは本当では無かったりして
その事を叱ったりして
また、自分の心の狭さに落ち込んだりして
疲れ果てた末、他人を変えようとしても無駄。
しかもこの人達はずうっとそうやって生きてきた訳で、私から見たら不安定で納得出来ない生き方だったとしても、今更変えられる訳がない。そして私にはなす術は無い。心配しても仕方の無い事なんだ。
これはむしろ私の心の在り方への
試練なのだなぁと分かったのだ。
今も未だ母の声の調子や
直ぐに泣き言を言う癖に翻弄されては
ネガティブな考えが浮かんでしまいがちな
自分に疲れ果てています。
心配し過ぎて消耗するので
上手く制作の時間が取れないで居ますが
そんな「境界で立ちすくむ」毎日でも
少しずつ制作出来たのは良かったです。
ただひたすら制作に奔っていた時は
なんてシアワセだったのだろう
と思い返したりしますが、
そんな時を持てただけでも良かったと思う。
今は体力も気力もそんなに無いうえ、
心配性が祟ってグッタリだけれど
来週からの個展では
元気で居よう!と思っています。
爽やかな風の季節
どうぞ作品と私に逢いに来て頂けたら
嬉しいです。

HIRAETH-帰りたい キモチ 20×26cm
銅版画コラージュに鉛筆、色鉛筆、雁皮
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